「エモい」という感情

先日、鎌倉の川喜多映画記念館前で待ち合わせた後輩が、「さっき人力車のお兄さんがお客さんに"ここは白黒とかのエモエモな映画を上映しているところなんですよ~”って説明してました。。。」と言ってましたが、「エモい」とは一体何なのだ?

ちょっと調べてみたところ、こんな意味のようです。

1980年代のアメリカで広がったロックミュージックの一つのジャンルであるEmo(エモ、イーモウ)から派生した言葉と言われている。Emoという名前自体も感傷的、情緒的を意味する英語emotionalを略したもの。「エモい」は、本来の音楽ジャンルとはもはや別のニュアンスに発展し、「ノスタルジック、懐かしい、郷愁的、感傷的、レトロ、感動的、哀愁漂う、得も言われぬ、もの悲しい、しみじみする感じ」を表現するために使われる。

Forestくらいの年齢になると、何でもかんでも「エモさ」の対象になってしまうわけで、ふと耳にする音楽や、久しぶりに見た懐かしい風景などに、思わず涙ぐんでしまうこともしばしば。

2021年から鎌倉&東京の2拠点生活を始めて、15年ぶりに見る鎌倉のあちこちで、幼かった頃の自分を見つけて、ウルウルすることばかりなんですが、Forestにとって第二のエモい場所と言えば、父方の祖母が住んでいた「大磯」に他ならない。

元々は鎌倉に住んでいた祖母と伯母(父の姉)が大磯のテラスハウスに引っ越したのは、もう50年以上前。なので、Forestにとってのおばあちゃんの家=大磯であり、毎年正月の里帰り&夏の帰省先だったわけです。

祖母が亡くなってからも、伯母を度々訪れていたものの、大学受験を経て大学生になると、毎年正月は八幡宮でバイトすることになったのもあり、めっきりと大磯から足が遠のいていた。一人で住んでいる伯母のことを気にかける余裕もなく、自分のことばかり考えて生きていたこの20年。

矍鑠(かくしゃく)とした伯母も、さすがに90を超えて血圧が高い。。。という連絡が、大磯町のケアマネさんから弟である父にあったものの、持病を抱えた彼が大磯まで行くのも困難。結局は近くに住む従弟の手を借りたのですが、私も伯母のことが気になり、およそ4年ぶりに彼女を訪ねたところ、まさに「エモさ」炸裂だったわけです。

大磯には車で行くことが多かったので、駅周辺の風景はよく覚えてないのですが、今回はプリンスホテルに泊まったこともあり、窓外に広がるロングビーチのプールを見ては涙。

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流れるプール!水泳を習っていた泳ぐの大好き少女だった私にはまさに天国のようなプールでした。そして、生ステージを観た当時のアイドル達。。。田原俊彦、マッチ、聖子ちゃん、河合奈保子、荻野目洋子、シブがき隊、工藤静香浅香唯などなど。。。今では信じられないような近距離で、今と時めくアイドルのステージを観ることができたのです。のどかな時代ですね。ロングビーチの入り口には、その夏のステージを務めるアイドルの大きな顔写真と日付が掲載された大看板がずらりと並び、「うわ~、何日には誰が来るんだ!行きたい!」とワクワクしていたものです。

後はもう、祖母&伯母が住んでいた白い家を見ただけで、エモかった!何も変わってないもんだから。でも、鎌倉と一緒で、大磯の住宅街や駅前にも、ちょこちょこと拘りがありそうな、お洒落カフェや雑貨店が出来ていて・・・。

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いっと、このブログを書いてるカフェでかかってきたのが、ヴァネッサ・カールトンの「A Thousand Miles」というForestにとってのノスタルジックソングで、音楽までエモかよ!?と一人突っ込む。

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肝心の伯母はというと、いや~お元気。

昭和4年生まれというから、もう92歳のはずなんですが、ともかく昔話のディテールがすごい!同じこと何回も聞かれたり、「あれ?さっきと話微妙に変わってるな~」ということもありましたが、まあ92歳だったら普通でしょう。Forestも人のこと言えないし(笑)

「昔のことはね、よく覚えているわ」という彼女。生まれ育った鎌倉よりも、はるかに大磯暮らしの時間が長くなりました。「ここ(大磯)は誰も干渉してこないから良い」って・・・そんなに鎌倉は周りの干渉が煩わしかったのだろうか?(汗)

鎌倉に住んでいたのはもう50年以上前ですが、やたらと「松林堂(本屋)」の名前を出してました。よく家に配達してもらっていたようです。あとは中華の「二楽荘」と「くろぬま」。「くろぬまの子供たちはみんなK大出てて優秀なのよ~」とか。(彼女は人の学歴の話が大好きwww)昨年無くなったことを告げると、残念そうでした。そう考えると、老舗っていうのも残るのは大変なんですね。

昔はただの田舎町(失礼!)で何にもなかった大磯ですが、最近は探索したいお店も増えてきました。町の開拓がてら、もっと頻繁に伯母を訪ねたいな。私と彼女が共に過ごせる残り時間が少ないことは明らかです。「いつか行こう、いつでも会える」と、今までやり過ごしてきたのが悔やまれる。

自分の方が高齢なのに「寒いから気を付けてね。何もおもてなしできなくてごめんなさいね。」としきりに言う伯母に、またも目頭を熱くしながら大磯を後にしたのでした。

あの町はヤバい。行くだけ涙腺が緩むときている。

歳とっていくとますます、この「エモい」という感情と付き合っていくことになるでしょう。思い出は増えていく一方なので当然だけど。