早熟すぎる20歳、ラディゲくん

みなさま、3連休はいかがお過ごしでしたか?

珍しく都内を彷徨くだけで終わったForestには、久しぶりに読書に費やす時間があり、買ったまま手付かずだった「ドルジェル伯の舞踏会」を読了。

Forestも書店で目にするまではタイトルすら知らなかった本作。

ドルジェル伯の舞踏会 (光文社古典新訳文庫)

ドルジェル伯の舞踏会 (光文社古典新訳文庫)

 

ちょっと説明しておきますと・・・

 

帯に書かれたキャッチコピーは

「夭折の天才が遺した、不滅の恋愛小説」。

はい、恋愛ドラマと同じく、恋愛小説も大好きなForestは、この帯に惹かれたんですね。ちなみに、結構古典的な恋愛小説が好物で、武者小路実篤の「友情」とか夏目漱石の「こころ」とか、三角関係&友人が心を寄せていた女性を奪っちゃう系の話には、古今東西問わず、目がないですね。

おそらく、「ドルジェル伯の舞踏会」にもそれに似た匂いを感じ取ったのでしょう。

「ベルばら」の大ファンであることも「〇〇伯爵」「舞踏会」という単語に反応した理由の一つ。尊敬する人物(架空だけど)のオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェも、名門ジャルジェ伯爵家の出身だし、アントワネットとフェルゼンが出会ったのも、仮面舞踏会だった・・・。あ〜、久しぶりに「ベルばら」読みたくなっちゃったなあ。

 

さて本筋に戻りましょう(汗)。

肝心のあらすじです。

「青年貴族のフランソワ(オスカルのミドルネーム!)は、社交界の花形ドルジェル伯爵夫妻に気に入られ、彼らと頻繁に過ごすようになる。気さくだが、軽薄な(わかる〜。こういう貴族、いるよね〜。っていうか、ほとんどの貴族は軽薄なイメージ!)伯爵と、そんな夫を敬愛する貞淑な妻マオ。フランソワはマオへの恋慕を抑えきれず・・・。それぞれの体面の下で激しく揺れ動く心の動きを繊細に描きとった、至高の恋愛小説」

でございます。

舞台は1910〜20年代のパリ。「狂乱の時代」と言われた時で、いわゆる貴族の血を引いた高等遊民たちは、代々の財産で豊かな生活を享受できるがゆえ、毎日を同じ貴族の人々との団欒(ともかく、昼食と夕食、その後の飲み会ばっかりですよ!そして使用人は山ほど。)に費やしていました。当然、そんな生活は退屈ですから、サーカス見に行った後に3時まで呑んだくれたり、不倫したり・・・と暇つぶしにも余念がありません。

で、主人公である20歳の高等遊民、フランソワもそんな一人。

仕事もなく、用事といえば、ドルジェル伯爵夫妻の家を訪ねてダラダラとお茶したり、実家で37歳(!)の若く美しい未亡人である、実母に見惚れたり・・・くらいの、超羨ましい生活を送っています。

そして、いつしかマオに心惹かれるようになり、「自分はマオのこと好きなの?でも、彼女の夫であるドルジェル伯爵は裏切れないし〜」とか「マオは自分のことどう思ってるのかな〜?」とか、そんなことばっかりを日がな一日考えています。

物語はオープンエンド?で唐突に終わるので、読者が二人の恋の行く末には色々と想いを巡らすことができるのですが、いやいや、Forest、めちゃくちゃのめり込みまして、2時間強で読み終わりました。

光文社の「古典新訳シリーズ」(旧訳は堀口大学氏)の、渋谷豊氏による生き生きとした翻訳によるところが大きかったと思いますが。

何よりも関心を持ったのは、作者のラディゲくんが本作を20歳で書いて、直後に腸チフスで死んでるってことです。

アラン・ドロン主演で映画にもなった「肉体の悪魔」の方が、作品としては知名度が高いですが、彼自身の生涯が、小説に劣らず衝撃的でした。

小林秀雄が本作とラディゲについて、以下のように語った言葉に激しく同意するので、引用。

「これほど的確な颯爽とした造形部を持った長編小説(ロマン)を近頃嘗て見ない。それにしても子供の癖に何という取り澄まし方だろう。やっぱり天才というのはあるものだ、世に色男があるように。」(「Xはの手紙・私小説編」新潮文庫)。

まあ、普通の20歳の青年が何の後ろ盾もなく、小説家デビューできるわけもなく、ラディゲ君は14歳頃に、ジャン・コクトーと知り合い(これは双方にとって衝撃的な出会いだったらしい)、彼と行動を共にするようになるのです。そして、芸術家や文筆家の知己を得て、「肉体の悪魔」という不倫小説で彗星の如く、文壇に現れたというわけ。

当然、コクトーとの同性愛関係は公然の秘密だったみたいで(そうでもなければ、14歳の少年を連れ回し、親元から6ヶ月も離して旅行連れて行ったり、深夜まで酒飲ませたり、一緒に住んだり、小説売り込んだりしないよね・・・)、わずか20年の人生で男も女も愛し、愛されまくったラディゲの顔が気になる!ってわけで、調べてたら写真が残っていた!

横顔ですけど、やっぱりかなりのイケメンだわ。そして、これがまだ20に満たない青年だって言うんだから、本当に「世に早熟な天才はいるんだな」という一言です。

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そして、こちらがコクトー

Jean Cocteau b Meurisse 1923.jpg

先日読了した「ソヴィエト旅行記」を書いたアンドレ・ジッドもそうですけど、当時のフランス芸術界では「同性愛」が普通だったんでしょうな。

ドルジェル伯の舞踏会」は当然(?)のことながら、三島由紀夫も愛読していたそうで、やっぱり趣向が同じもの同士、共感し合うものがあるんでしょうか。

それにしても、14歳で23歳の女性と結婚し、子供をもうけるも離婚。その後も、国籍(イギリス、ポーランドスウェーデン出身と万国博覧会状態)問わず、主に年上の女性たちと恋愛遍歴や同棲を重ねて20歳でこの世を去る・・・って、あまりに生き急いでいる感があります。

実はForestの祖父はフランス語翻訳・通訳を生業にしていた人で(と言っても、こちらも40歳で夭折)、15〜24歳までをフランスを始めとするヨーロッパで過ごしています。

日本の中学を中退しての留学。大学もフランスで終えました。

Forestが生まれるはるか昔、Forest父が5歳の時に亡くなったので、もはや彼のことを語れる人もいないのですが、ちょっと調べたら完璧にジャン・コクトーと同世代ですね。

うわ〜、もしかしてパリで会ってたりして!などと想像すると、生きている時に祖父に会いたかったと強く思うのでした。きっと色々と教えてくれたに違いない。

話はまたもや逸れましたけど、三角関係の恋愛小説として、現代人が読んでも十分に楽しめる作品です。20歳の青年が書いたと思えない、緻密な心理描写と人間観察力が凄すぎます。21世紀に生きるForestが読んでも「あ〜、こういう人、今もいるなあ。あの人みたいな人だなあ〜」と簡単に共感できてしまうのですから、人間って100年経っても、さしてその営みは変わってないんでしょうね。

これを機に「肉体の悪魔」も読んでみようと思う、海の日でした。

しかし、韓国ドラマにハマったり、クラシックバレエが趣味だったり、フランス文学読んだり、ロシア好きだったり、Forestって何事も「広く浅く」人間なんだろうな〜と、改めて自己分析した次第です。