日常から、ちょっとだけ離れて。。。
以前に「前世占い」をしてもらったら、Forestは「中世ヨーロッパの旅人」だったらしい。「それって職業は何なのさ?」と思ったけど、「旅の途中の船上で、音楽家や芸人のパフォーマンスを楽しみながら、色んな人と交流しながら、ヨーロッパの国々を訪れている姿が見えます」って言われました。占い師のアドバイスとしては、「少しでも時間が空いたら、家でじっとしているよりは、短期間でも日常から離れて、旅に出た方が良い。それがあなたの最良のリラックス方法です!」とのこと。
もちろん、この占い師さんとは初対面、事前には生年月日くらいしか伝えてないわけですが、Forestのジッとしてない性格とか、旅好きなところなんか、よく言い当てているなあ〜と感心したもんです。
珍しく仕事もプライベートも予定がなかった今週末。(ていうか、わざと予定を入れなかった)。
本当は昨日にでも1日休暇をもらって、2泊3日でどこかに行きたかった。
しかし、会社にいると、来客から、期限のある書類作成やら、色々とあるもので、完全に休むタイミングを逸してしまったわけです。「さらっ」といつの間にか休んで、メリハリつけてバリバリ働いている人が、Forestの憧れなのですが、実際はそうもいかず。
というわけで、「どこか遠くに行きたいな〜。でも2日しかないしな〜」という限られた選択肢の中で、かなりの近場にお籠りにやってきました。
しかし世間は週末。。。当然の事ながら、家族連れ&カップル&友達連れ・・・で、静かな時を過ごす環境には程遠く。
やっぱり自分と向き合うには、こういう所、平日に来るに限りますな。
とはいえ、珍しくMACなんかをお供に持ってきてしまったわけで、しばらく放置してたブログの記事でも書きためようかな〜と思っています。
書くことはForestにとって「浄化」の一種。
きっと明日には少しクレンジングされて、都心に戻るのではないでしょうか?
さて、この宿は緑豊かな自然の中に位置しており、Retreatには最適な場所だと思いますが、まず駐車場で案内してくれたのは、海外からの研修生。
おそらく東南アジアのどこかご出身。
拙い日本語で一生懸命、館内施設をご案内してくれました。
これだけの宿が林立しているわけですから、どこも人手不足は共通の悩みでしょう。
都心のコンビニやファミレスも、殆どが中央アジアやネパール、スリランカのバイトさんで賄われている現状を見ると、地方に外国人観光客が殺到する反面で、同じ外国人(もちろん、出身地は違うのだけど)がスタッフとして働いている現実があります。
日本の人口も減少の一途を辿っているし、後10年後には、どこに行っても「外国人が外国人をサービスしている」状態が普通になるのではないでしょうか?
その場合、すでに帰化したり、日本人との結婚で国籍が日本になったりという外国人も増加してるわけで、こうなると、もはや「何が日本人なのか?」という定義すら難しい時代になるでしょうね。その時にどれだけ「グローバルマインド」を持っているか?によって生きていき辛さが、ぐっと変わってくると思います。
たまには、真面目に日本の将来を考えてみる、東京オリンピックのチケット当たったのに購入しそびれたForestなのでした。(あ、忘れていたのに思い出しちゃった!)
生きていくということ
この2ヶ月ほど、辛い状況が続いていました。
30人程度の中小企業で、自由度を持って仕事をしていた私、Forestが1年半前に800人弱の大きな(と言っても、何万人もいる大企業に比べれば、たかが知れているのですが)企業に転職し、最初の1年は慣れるだけで精一杯。
2年目を迎え、「さあ、やっと本腰を入れてやる気を見せねば」という時に、今まで知らなかった会社の流儀や、根回し、決裁プロセスなどに直面し、戸惑ってしまったというのが、第一義的な要因ってこと。
社内の決まりごとや調整があまりに大変で、すっかり社外のパートナー社を疎かにしてしまい、気が付いたら過去の反省&自己追責、そして不幸な未来ばかりを想像してしまい、「全く現在を生きていない」という負のスパイラルに陥ってしまっていました。
平日はもちろんのこと、土日ですら「あの時、ああしていれば」という過去の振り返りと後悔の念に苛まれて、心臓がバクバク高鳴ってしまうほど。
食欲も全く湧かず、平日もランチを食べることさえ忘れ、ひたすらにどんよりとした空気の中で狭いオフィスの椅子に座っていました。
何もやる気が起こらず、休日は身体を動かすことすら億劫で、ずっと横たわって過ごしていました。
幸い、色々と手を打って、状況は快方へと向かってきてはいます。
そんな中、お知り合いの訃報が飛び込んできました。
前職時代にお付き合いのあった同業他社の方。
闘病中とは伺っていましたが、その後奇跡的に回復し、お仕事にも復帰されたと聞き、安心していたのですが、病気が再発し、帰らぬ人となりました。
彼に最初に会ったのは、もう2006年くらいだったかな?
私も前職時代の悩みを抱えていた時期で、不平不満やら、色々と聞いて頂いた記憶があります。理論派かつ情熱あふれる彼に、理路整然と、でも愛のある駄目出しをされました。
お世話になったにも関わらず、その後は転職したご挨拶すら差し上げることなく、あっけなく逝かれてしまいました。悔やんでも悔やみきれません。
今日、お通夜に参列してきましたが、彼が最初の発病後、見事に復活され、その後の人生を充実させるべく、精力的に色々なことに取り組んでいたことを知りました。
お会いして、今の仕事のお話もしたかった。
そうしたら、どんな言葉をかけてくれたでしょうか?
奇しくも、斎場は今年の4月に親友だったNさんを見送ったのと同じ場所でした。
ここ最近、Forestの精神状態が不安定だった時、Nさんに会いたいなあ〜と何度も思いました。きっと彼女だったら、欲しい言葉をかけてくれたに違いない。
「Forestなら大丈夫ですよ!」という優しい声が頭の中にはこだまするのですが、実際に話すことは叶いません。
今日お送りしたHさんもNさんも、お若くして逝かれました。
やりたいこと、見たい景色、行きたい場所…沢山あったことでしょう。
彼らのことを考えると、社内の人間関係、調整ごと、根回しくらいで悩み苦しみ、自分を追い詰めているForestがとっても小さな存在に思えてくるのです。
「生きていく」って何なんでしょう?
ストレスなく、自分の好きなことだけをやって生きていければ、それは最高。
でも、実際の生活ではそんなこと、有りえない。
ただ分かったことがあります。
それは、辛い時、自分が窮地に立たされていると思った時に、親しかった故人のことを思い出す…ということ。
志半ばでこの世を去らなければいけなかった彼らに思いを馳せれば、たいていのことは乗り切れるような気がするのです。
遺影の中で優しい笑顔を見せるHさんの在りし日の姿を思い出しながら、そんなことを考える夜です。
国宝級のホスピタリティ、帝国ホテル!
先日、母の誕生日で帝国ホテルに一泊したところ、その素晴らしいサービスに驚嘆したのであります。
まず、インターネットでの予約時に、これは狙いすましていたのですが「年老いた母の誕生日で宿泊しますので、エレベーターから近いお部屋お願いします」と書き添えました。
するとチェックイン時、「本日はお母様のお誕生日おめでとうございます。お部屋をインペリアルフロアにアップグレードさせていただきました。」と言う嬉しいお申し出。
「ひゃっほーい!やったね!」と心の中でほくそ笑むForest^_^ ここまでは、ある意味、想定内です。
インペリアルフロアに到着すると、着物姿のコンシェルジュ的な女性がお出迎え。冷たい緑茶やお菓子のサービスなど、こちらが恐縮するくらいの、恭しいおもてなしが。
色々な方から口々に「お誕生日おめでとうございます」と声をかけられ、母もご満悦でございます。「もう祝ってもらうような歳じゃないわ〜」と言いつつ、やっぱり「おめでとう〜」と言われると嬉しいですわな。
気分も上々に、バーに行った時のこと。何も言っていないにもかかわらず、すかさずお誕生日のお祝いプレートが出てきたので、更にハッピー。
「お写真撮らせていただいてよろしいですか?」とご丁寧なお申し出とともに写真撮影、その後すぐに現像してプレゼント。。。と言う、素晴らしい連係ぶり。
1つの会社、部署でも、情報共有や申し伝えがおろそかになり、いろいろなミスコミニュケーションが起きているこのご時世、お客様の情報を各所で共有し、最高のホスピタリティを提供しようとする帝国ホテルの姿勢には本当に感動しました。さすが老舗でございます。
正直、今回の宿泊先、星のや東京と迷ったのですが、やっぱり帝国ホテルにしてよかった。星のや東京より宿泊費も30,000円以上安い上にアップグレード、しかも朝食付きととてもリーズナブル。
今度1人でも泊まりたい!と思ってしまいました。こうして次の宿泊、お客様へとつなげていく。これぞホテルの正しい姿であります。
たまに都心に泊まって日常の喧騒から離れるのもいい経験ですな。
これからも帝国ホテルが、国宝級のサービスを維持することを強く願います。
「ビールストリートの恋人たち」⭐️⭐️⭐️⭐️
機内で鑑賞。
「ムーンライト」でアカデミー賞を受賞したバリー・ジェンキンス監督が、1970年ニューヨークのハーレムに生きる若い黒人カップルの愛と信念を描いたドラマ。
妊娠中の若い女性とその家族が、無実の罪で逮捕された婚約者の罪を晴らそうと奔走します。
Forestにとってニューヨークは未踏の地。イメージは「Sex and the City」あるいは「ゴシップガール」の舞台である、アメリカで最も進歩的で前衛的な国際都市。
しかし今からわずか40年前には、黒人というだけで問答無用の差別が横行していた・・・という事実に驚愕です。
若いカップルを演じたキキ・レインとステファン・ジェームズが、ひたすら可愛らしく美しい。
彼らの望みは、愛する人とささやかでも幸せな家庭を築くこと。
それすらが実現できないという過酷な現実。
この時代の人々からすると、後年に黒人大統領オバマが誕生することなんて想像すらできなかっただろうなあ。
物語のテーマは重く、救いようのないものですが、若いカップルが愛を育む様子、そして見守る家族たちの姿が、ただただ美しく描かれます。
しかしながら、無実なのにそれを証明できない憤り、生まれてくる我が子を抱きしめることのできない立場を受け入れざるを得ない苛立ちと諦め・・・が、映画の主旋律として静かに流れていきます。
物語が終わった時、エンドロールに表示される「If Beale Street Could Talk(ビール・ストリートに口あらば)」という原題が重く迫ってきます。
そうです、誰が実際に罪を犯したのか?誰が無実なのか?知っているのはビール・ストリートのみ。でも、ビール・ストリートは何も語ってくれません。
これはラブストーリーなのか?それとも、かつて存在した黒人差別を訴えたい社会派映画なのか?
しかし、見終わって思い出すのは、若い黒人カップルの美しいラブシークエンスの数々です。
「キングダム」⭐️⭐️⭐️
GW前に鑑賞。
実は「翔んで埼玉」をやっとことさ観る気満々で出かけたのですが、ちゃんと上映時間を調べたはずなのに、表示がない!
「時間間違えたのか!?もう歳だわ〜」と軽くショックを受けつつ、「あの〜、翔んで埼玉は?」と窓口で問い合わせたところ、「次回は応援上映でして、静かにご覧になりたい方には不向きかと・・・」という返答。
初心者なのに応援もないだろう・・・ってことで、急遽「キングダム」を観ることに。
このアクシデントがなかったら、選ばなかった作品だったなあ。
というわけで、何の予備知識も、関心もなく映画鑑賞がスタート。
当然のことながら原作漫画も読んだことないので、まあそういった意味では真っさらな気持ちで臨めました。
内容については省きますが、これは山崎賢人と吉沢亮の2大主演ってことでいいのかな?
二人一役っていう役どころも美味しかったのかも知れませんが、発声、演技力、ルックスの美しさ、そしてスクリーンに放たれるオーラ・・・と、どれを取っても彼に軍配。
ネットを見ると山崎賢人も相当に役作りには入れ込んでたみたいで「まさに代表作」みたいなコメントもありましたが、なんかパッとしないんだよなあ。
特に台詞回しとか、まず彼は演技の基礎から叩き込んだ方が良いのでは?
(ホント偉そうですいません・・・)
大声で雄叫び上げるシーンとか多かったのですが、完全に役と一体化していないから、無理している感がある☞こちらにシンパシーが伝わらない。
多分、佐藤建とかの方が適役だったかと思いますが、彼も既に三十路。
若手として山崎賢人に白羽の矢が立ったのでしょうが、彼にはもっといい役があるような気がするなあ。俳優不足?
しかし、吉沢亮が途中からバンコランに見えて仕方なかったわ。
途中から大沢たかおもバンコランに見えてきました。。。
映画の本筋からは大幅に逸れましたが、そこそこ楽しめたっていうことにしておきます。途中から「誰が誰に似てるか?」とか「この役って、別の俳優だったら誰が良かったのかな〜?」とか考えはじめてしまい、集中力に欠けましたが。。。
きっとこの先、続編も作られると思いますが、主演二人の成長に期待。
田中圭考察
「おっさんずラブ」以来、ブレイクしたとされて、メディア露出の甚だしい田中圭。
Forestが彼にはまったのは2017年、日テレ木曜プラチナイト枠の「恋が下手でも生きてます」を観た時。
毎日、田中圭をキーワード検索し、ドラマの今後を予測し、脚本家を調べ。。。と、まさに田中圭一筋で日々が過ぎていったのでした。
以下、2017年当時、私がいかに彼に夢中だったかを明示する恥ずかしいFB投稿の数々。
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15歳から芸能活動をスタートさせていただけあって、すでに芸歴17年だった彼を様々なドラマや映画で見かけることは多く(特に「図書館戦争」は、かなりカッコいい役だった)名前と顔は一致してる俳優だったものの、「ハマる」ほどではない存在だった。
しかし、ここまでForestの日常生活の大半の時間を費やさせるに至った田中圭氏のドラマにおける存在感は軽視できない。。。などと、偉そうに評論していますが、要はちょっと掴みどころのない、謎めいた、それでいて自信にあふれて強引に迫ってくる青年社長を演じた彼がピッタリと役にはまっていたということ。
それが「おっさんずラブ」で開花したってことでしょうか?
当時、田中圭に関しては相当なリサーチを重ねたため、すでに彼のプロフィールについてはかなり詳しいと自負しておりましたが、「熱し易く冷め易い」Forestの性格が災いして?今ではいくらテレビに露出していようとも、心ときめかない存在になってしまった・・・。と今朝の「いつみても波乱万丈」@日テレを見て、2年前の自身の熱狂と、それがいかに日々の生活を明るく照らしてくれていたか?を思い出したのでした。
また、田中圭的熱狂対象が欲しい・・・そのためには、ドラマが必要!と強く思うForestなのでした。
とはいえ、当時のリサーチで判明した彼の「俳優らしからぬ、肩の力の抜けた生き方、仕事への向かい合い方」が、すぐ隣にいるサラリーマンの知り合いのごとく共感できる部分もあって、ゴリゴリの俳優論を振りかざしたりしない自然体な仕事ぶりが、今のご時世、一般人の支持を生んでいるんだろうなと思った次第です。
会社でいえば、ずっと下積みの仕事を重ねて、日の目を見るポジションにいなかったけど、別に出世欲があるわけでもなく、仕事として地道にやってきたら、新規事業部の立ち上げでいきなり注目浴びました!気づいたら結構キャリア長いし、社内でも信頼厚いのね・・・って感じのポジションですよね?
その普通さ加減が彼の魅力だと思いました。
野望がない故に落胆も少ないというのでしょうか?
そういう人間が逆に一番強いものです。
社会人よ、田中圭に見習うべきことは多いよ!
「家に帰ろう」⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
機内で90分という短尺だったため、何気なく選んだアルゼンチン映画。
以前に予告編を観て気にはなっていましたが、ここまで素晴らしい映画だったとは!
感動のラストに涙が止まりませんでした。(隣の人に「大丈夫か?」って思われていたかも・・・^^:)
ブエノスアイレスに住む88歳の仕立て屋エブラヒムは、ポーランドから逃げてきたホロコーストの生き残り。
子供たちによって家が売られ、翌日には老人ホームに入れられる。。。そんな時に、70年前の友との約束を思い出します。
それは「自分の仕立てたスーツを持って、必ず会いに行く」というものでした。
ソ連侵攻後、ナチスが解体され、命からがら強制収容所から脱出した自分を介抱し、アルゼンチンまで逃してくれた、まさに「命の恩人」とも言える友達。
彼からもらった布でスーツを仕立てていたものの、アルゼンチンでの生活に追われ、あっという間に流れた70年の月日。
もちろん、その間二人は音信不通です。友が生きているかも、まだ故郷の町ウィッチに住んでいるかも不明。
しかし、エブラヒムは「このまま老人ホーム送りは嫌だ!人生の最後に約束を果たすんだ!」と家出同然で旅に出ます。
彼の右足は壊死寸前で医者からは切断を勧められています。
歩くのもままならないエブラヒムが、ブエノスアイレスから遥か遠いポーランドまで、無事に行き着くことができるのか?
観ている方がハラハラする、スリリングな展開が続きます。
ここも前半の見せ場です。
まずはアルゼンチンからスペインのマドリッドへ。ここが彼にとってヨーロッパの玄関口。しかし、旅の初めから宿で全ての持ち金を盗まれるというハプニングに襲われます。さて、ヱイブラヒム、どうする????
と、彼の旅はすんなりとは進みません。が、その度に彼を助けてくれる人が現れます。
宿の女主人、空港で入国を助けた不法滞在の男性、そして絶縁中だったマドリッド在住の末娘。。。
それもこれも、ヱイブラヒムの人間的な魅力が成せる業なんでしょうね。
なにせ88歳の足が不自由な老人が、人生最大のミッションをこなそうとしているのですから、どうしたって何とかしてあげたい気持ちに駆られます
紆余曲折の末、マドリッドからパリへ向かう列車に乗り込んだヱイブラヒム。
しかし、パリからポーランド行きに乗り換えようとした時に更なる問題が発覚。
まず、スペイン語圏であるマドリッドから出たことで、フランス語の壁にぶち当たります。誰もスペイン語を解してくれないもどかしさ
加えてエブラヒムの要求「ドイツを通過せずにポーランドに行きたい」は、物理的に不可能。駅の案内の人々も呆れ果て、笑い出す始末です。
そんな時に手を差し伸べてくれたのは、スペイン語、さらにはイデッシュ語(ユダヤ人の言語)を話す人類学者だという中年女性でした。
救世主のような彼女に笑顔を見せるヱイブラヒムでしたが、彼女がドイツ人であると知った途端に態度を急変させます。そして自分がポーランドで受けた経験をポツリポツリと語り出す。「聞いたんじゃない。この目で見たんだ」と繰り返す彼に、ドイツ人女性もかける言葉を失います。
「ドイツに足を踏み入れたくない」というヱイブラヒムの願いを、このドイツ人女性が一休さんばりのアイディアで叶える場面は驚きと感動です。
「ドイツ人はホロコーストを恥だと思っている。あの時代を知らない若者も歴史から学ぼうと努力している」と語る彼女に言葉に少しは心を動かされたように見えるヱイブラヒム。「ドイツ人には触れられたくもない!」と頑なだった彼が、別れ際に彼女からの抱擁を体を硬直させて受け入れてる姿が印象的だったなあ。
さてさて、いよいよと列車はファイナル目的地、ポーランドへ走り出します。
果たして友は生きているのか?70年越しの再会は果たせるのか?
なんかねえ。やっぱり映画って素晴らしいですよね。
わずか90分でここまで人間の機微と背負った歴史を語れるのだから。
ドイツという国にも興味が湧きました。
ヒトラー、そしてナチスという化け物、ホロコーストという人類最大の虐殺を生んだ自国の歴史を学びつつ、今何を思って生きてるのかな?彼らの学校教育とか、非常に興味が湧きました。というのは、この文化人類学者のドイツ人女性が、本当に素晴らしいキャラクターとして登場するんですよ。全ての人類の良心のような女性。
旅の途中で彼女に会えたのがヱイブラヒムの財産だと思います。
彼女に会わなかったら、きっと彼はドイツを憎んだまま一生を終えていたでしょうから。
ラストは語らずにおきますが、原題「最後のスーツ」よりも邦題の「家に帰ろう」がピッタリとはまります。「ああ、こういうことだったのね」という。ヱイブラヒムにとっての家はここだった。
人生の折々に観たい映画です。
ヱイブラヒムの勇気と行動力に励まされること間違いなし。
今でもラストシーンを思い出すと涙が・・・。